2011年1月9日日曜日

実はエビとぼくのつき合いは古かった (安西洋之)


中学生の時だった。会話は都内から横浜に向かう電車のなかで始まった。相手は父親と同じような年齢のビジネスマンで、頻繁に海外に出張していた。短い出会いだったが、それを機会に手紙のやりとりがスタートした。多分、「夢ある少年」に外国に郵便を送る楽しみを教えてくれようとしたのだろう。赤と青の枠の封筒に極端に薄い便箋を使った文通は高校時代まで続いた。 

手紙は台湾からだった。やり取りの中で、彼が日本にエビを輸入する商売をしていることがわかってくる。ぼくは台湾にもエビにもあまり興味がなく、ただ、達筆で描かれたビジネスマンの活気のようなものに心が躍っていたはずだ。彼の存在は、外国をよりリアルに近づけただけでなく、起業家精神を身近なものにしたと思う。 

「1980年代中ごろから後半にかけ、台湾は日本向けエビ輸出の最大の供給を誇った」という本書のくだりを読み、「あっ!」と叫んだ。 1975年、冷凍エビの国別輸入量で台湾は番外だったが、1987年、台湾は圧倒的な一位。ぼくが、かのビジネスマンに電車のなかで会ったのは、1973年。これからは台湾だ!とエビ田の開拓に走り回っていたのではないかと、40年近くたって気づいた。あの熱気は、こういうことだったんだ、と。 

しかし、1989年に再び台湾はランキングの埒外へ。状況の急変は、「病気の発生とヘドロの堆積が、エビ田に使った西海岸を次々と死滅させていったからに他ならない」。「エビの養殖は、脂肪分や栄養剤をふくむ飼料や、特有の病気を防ぐための薬を大量にたんぼに投入する。そのため、エビ田の水と土地はひどく汚染され、たんぼの底にはヘドロ状の土が堆積していく。 5-6年間エビの養殖を続けると、その土地は『死んでしまう』といわれるほどである」。 

かつて、エビは贅沢品だった。経済景気とエビ消費量の間には密接な関係がある。アジア各国政府は外貨稼ぎのためにエビ養殖に力を入れた。そこには暗部もあった。台湾で起きた環境汚染はタイでも起きた。エビ田で汚染されたたんぼの水を取り入れた、「水田・果樹農民の田畑が汚染され、被害は広範な地域に拡大していく。現在、エビ養殖農民と水田農民、沿岸農民のあいだで流血の争いが生じているのは、まさにそのためであった」。

 1990年頃の話だ。あのビジネスマンは既に引退していたのだろうか。

(末廣昭『タイ 開発と民主主義』岩波新書、1993年)